御滝中学校 木元 裕貴 相撲道

御滝中学校 木元 裕貴 相撲道 中学生の相撲紹介

御滝中学校 木元 裕貴 照ノ富士 相撲道

前回のブログタイトルの続き、攻めているときよりも受けているときが強く見えるということは、攻めているときは弱く見えるということだ。弱いというか、軽く見えるのだ、朝乃山。大関としては物足りない。綱を狙うポジションの力士としては、物足りない。

もうひと踏ん張り、もうひと辛抱、これは何か少し言葉が違うかな。しかし、何かが足りない。雑な攻めに見える。御嶽海に敗れた貴景勝の、どこかで引こうと見える突き押しも同じ、これももうひと踏ん張り、もうひと辛抱が足りない。取口は違うけど、朝乃山と貴景勝の相撲に、同じ感覚を持った。

そこのところの、我慢というか、照ノ富士の取口は根気強い。自分の相撲を知っている。ヒザの調子は厳しいかもしれないから、このまま行けるとは言えないが、それゆえか丁寧に根気強く相撲を取っている。

たまたまだが、今日の大相撲中継、誰だったか忘れたけど、「今の力士は土俵際では突き落としですが、以前はそこからこらえて、盛り返していました」みたいなことを語っていた。

寄り返さないで突き落としに走るのは、突き押し相撲の展開なら致し方ないと思うけどね。四つでなければ、なかなか粘ることは出来ないだろう。とは言え、それを加味しても、やはり今は突き落とす。良い悪いは問わないが、淡白には映る。

少年時代からの知り合いならば、相手が大関になっても別格的な意識は希薄だろう。それでも、別格的な成績を上げて大関になっている。ならば、濃密とは言わないが、淡白な相撲はあまり見たくない。もう一人の大関、正代の相撲が淡白か淡白じゃないかは、非常に分かりにくい。